子どもに瓜、けものに虫。
フランスVSブラジルは前半30分まで見て、途中で力尽きる。残りはビデオで・・・。
勝った!よくやった、アンリ。ジズーも随所に効いていた。
昼過ぎにでかける。
山田せつ子ダンスシリーズ「奇妙な孤独 vol.2」@京都芸術センター。
開始、暗転。ガサガサ音が聞こえる。季節がら、笹か何かをわさわさやっているのかと思ったら、明かりがついて、舞台にいるのは山田せつ子一人。手には白いもの。何だろう、紙?暗闇で聞こえた音からしたら、もっと大きな装置や複数の人間を想像していた。そのあと判明したのだが、それはビニール袋だった。広げると人の頭くらいの、普通の白いビニール。
それがわかった瞬間、目には見えないけど、この舞台が一気にコンビニや交差点のような、不特定多数の人間が行き交う場所に見えた。うちにも大量にある特徴のないビニールが発する音で、舞台には一気に人があふれた。いや、人ではなくて、単に風が吹いていただけのようにも思えた。とりあえず、一人の人間の他に何かが入ってきたのは確か。
女性がもう一人(内田淳子)が現れる。二人はボディコンタクトはない。視線も合わさない。内田さんはベッドと格闘していたが、くしゃみ(私はそう思っていた)を頻繁にしていて、これは山田さんが誰かと内田さんの噂をしているんだろう。決して二人は絡まないが、お互いを目の片隅に入れあっている。
爪先立ちをしているのに、立位体前屈状態の異形の男は、定期的に舞台を巡ってランプに水をさす。立ちながら下に向かおうとしている。
袋をかぶる。顔は隠しているが、体は見えている。頭部よりも饒舌な部分が露わになっている。
ラスト近くで、初めて二人が接触する。しかし、格闘用語で言うマウントポジションで、そこには上下関係が成立していた。言葉を発する内田さんが上になることで、言語という支配手段が使われていて、身体の方が強いはずなのに、言語(ルール、常識、決まりごと)は説得力があるので、そんな錯覚をさせられている。
孤独って、消極的であれ、積極的であれ、自分以外を意識しなければ成立しない。それらを意識してようやく孤独になれる。
なんだか孤独って奇妙。
勝った!よくやった、アンリ。ジズーも随所に効いていた。
昼過ぎにでかける。
山田せつ子ダンスシリーズ「奇妙な孤独 vol.2」@京都芸術センター。
開始、暗転。ガサガサ音が聞こえる。季節がら、笹か何かをわさわさやっているのかと思ったら、明かりがついて、舞台にいるのは山田せつ子一人。手には白いもの。何だろう、紙?暗闇で聞こえた音からしたら、もっと大きな装置や複数の人間を想像していた。そのあと判明したのだが、それはビニール袋だった。広げると人の頭くらいの、普通の白いビニール。
それがわかった瞬間、目には見えないけど、この舞台が一気にコンビニや交差点のような、不特定多数の人間が行き交う場所に見えた。うちにも大量にある特徴のないビニールが発する音で、舞台には一気に人があふれた。いや、人ではなくて、単に風が吹いていただけのようにも思えた。とりあえず、一人の人間の他に何かが入ってきたのは確か。
女性がもう一人(内田淳子)が現れる。二人はボディコンタクトはない。視線も合わさない。内田さんはベッドと格闘していたが、くしゃみ(私はそう思っていた)を頻繁にしていて、これは山田さんが誰かと内田さんの噂をしているんだろう。決して二人は絡まないが、お互いを目の片隅に入れあっている。
爪先立ちをしているのに、立位体前屈状態の異形の男は、定期的に舞台を巡ってランプに水をさす。立ちながら下に向かおうとしている。
袋をかぶる。顔は隠しているが、体は見えている。頭部よりも饒舌な部分が露わになっている。
ラスト近くで、初めて二人が接触する。しかし、格闘用語で言うマウントポジションで、そこには上下関係が成立していた。言葉を発する内田さんが上になることで、言語という支配手段が使われていて、身体の方が強いはずなのに、言語(ルール、常識、決まりごと)は説得力があるので、そんな錯覚をさせられている。
孤独って、消極的であれ、積極的であれ、自分以外を意識しなければ成立しない。それらを意識してようやく孤独になれる。
なんだか孤独って奇妙。
by tsubasahappy
| 2006-07-03 00:00
| パフォーミングアーツ