寒い日の音。
今日も雪が舞う中、学校へ。
文化行政の授業。相変わらず教授の話す時間が多いが、なんとか耐えて、発言。最近私が思っているのは、行政の支援や助成金なんかを得るには、彼らを騙すことなんかじゃないかと思う。アーティストのやっていることが、どれだけ社会性があり、どれだけ公共性があるかを語り、補助を得る。なんか、それがアーツマネージメントの一面なのかと思ってしまう。アーティストによっては社会性や先駆的なことをやろうとしてやっているかもしれないが、そのエネルギーの発端は自分がやりたいという気持ちであって、純粋な表現意欲がメインであれば、その他はその行為の根拠であるのかもしれない。私は自ら何かを表現しようという者ではないので、その真偽の程はわからないが、とりあえず公的機関の先見性なり社会風刺する勇気なぞ信じていないので、騙してもいいのじゃないかと思っているのだ。
まぁ、そんなことを考えながら授業は終わった。
最近私は、電車やバスの移動中、ウォークマンを聞くことが極端に少なくなった。昔はよく聞いていたのだが、なぜか。自分の持っている音楽に飽きたというのもあるが、なんだかもっとイイ音が聞こえてきそうで、最近ははずしっぱなしなのだ。
雪が降る日は、電車の遅れを伝えるアナウンス、携帯で待ち合わせに遅れることを伝える人、早くバスが来ないかイライラする声、なんてことが耳に届く。
文化行政の授業。相変わらず教授の話す時間が多いが、なんとか耐えて、発言。最近私が思っているのは、行政の支援や助成金なんかを得るには、彼らを騙すことなんかじゃないかと思う。アーティストのやっていることが、どれだけ社会性があり、どれだけ公共性があるかを語り、補助を得る。なんか、それがアーツマネージメントの一面なのかと思ってしまう。アーティストによっては社会性や先駆的なことをやろうとしてやっているかもしれないが、そのエネルギーの発端は自分がやりたいという気持ちであって、純粋な表現意欲がメインであれば、その他はその行為の根拠であるのかもしれない。私は自ら何かを表現しようという者ではないので、その真偽の程はわからないが、とりあえず公的機関の先見性なり社会風刺する勇気なぞ信じていないので、騙してもいいのじゃないかと思っているのだ。
まぁ、そんなことを考えながら授業は終わった。
最近私は、電車やバスの移動中、ウォークマンを聞くことが極端に少なくなった。昔はよく聞いていたのだが、なぜか。自分の持っている音楽に飽きたというのもあるが、なんだかもっとイイ音が聞こえてきそうで、最近ははずしっぱなしなのだ。
雪が降る日は、電車の遅れを伝えるアナウンス、携帯で待ち合わせに遅れることを伝える人、早くバスが来ないかイライラする声、なんてことが耳に届く。
by tsubasahappy
| 2005-12-20 01:45