ピンキリブロードウェイ。
19日、日曜日。
私は知らなかったが、NYの公立図書館は映画のロケなんかにも使われるくらい有名らしく、町の中心にあった。蔵書が半端ない数だというので行ってみた。そこ自体観光地の一つと化していて、図書館なのに美術館や博物館同様ショップもある。建物の感じが、ちょうどハンガリーで通っていた大学に似ていた。図書館にはフリーで使えるPC用のLANもあり、今では決して珍しくない光景だが、私はどうもその辺はアナログで、調べ物をするという行為は手書きでなければどうもしっくり来ず、そういう図書館にPCを持ち込む過渡期は、私たちくらいの年代からなのかなと思ってみたりした。
45分だけならネットが無料で使えるというので、そこでオフオフブロードウェイのチケットを予約する。(ブロードウェイ、オフブロードウェイ、オフオフブロードウェイ、と会場の大きさ、チケットの価格も低くなる。オフやオフオフで成功すれば、ブロードウェイへと進出することも可能なのだ。ブロードウェイでやりたくないというアーティストも当然いるだろうが。)こっちでブロードウェイの一つも見て見たいと思っていたが、日程的、金銭的なものを考えると、ちょうど今日やっている12ドルのダンスが適当だったので、急いで予約した。
開演は20時だったので、それまではロックフェラーセンター、タイムズスクウェアのあたりを散策して、一応NYの喧騒も味わっておく。
「Grios」@The Center for Remembering and Sharing
キャパは45人程度と聞いていたから、小さいとことは覚悟していた。けれど、お客は自分も含め7人。今まで見た中でもっとも少なかった。当日パンフなんかさらっと読むと、Buster-Keaton、BUTOHなんかの文字が見えるので、これはひょっとすると結構好みなのかもしれないなぁ、とホロリと期待していた。
最初のシーンで男性が木の格好をして、そこに絡む妖精役の女性。ひどかった。BUTOHはアンチ西洋を基本に置き、何かに"なる"ってことを体現しようとしたんだけど、これはあまりにも直接的過ぎる。木になりたいなら、そこに立って木になれいればいい。なのに男性は木を頭につけ、手につけ、茶色の衣装をまとい。女性の方は妖精というには、体が重く、フリ自体は故意的でない緩慢さで、違う意味で肉体の限界だろう。次のシーンでは若い女性3人が全裸で登場。ここでなぜ全裸なのかイマイチ意図が読み取れなかった。このあとも次々にシーンは変わり全部で11シーン続いた。
この作品はセルティックの神話にインスパイアされているそうだが、そういった神話性を語るには、体が俗世間と訣別しきれていなかったように思える。それは、若い女性3人の年齢的な若さをカバーできない身体と、演出の仕方とその辺と。舞台装置はとてもシンプルで、床と奥の壁に木の棒を自由にさせるような装置で、シーンごとにその棒の配置を変えて、フレキシブルな対応ができるようにしたものだった。そういう発想は悪くないとあえて褒めるが、場面転換のたびに暗転になり、舞台に男性がでてきて紙を見ながら棒を差し替えていくというのはかなり集中力が切れる。暗転自体私はなるべく少なくして欲しいのだ。するなら休憩にしてくれという感じなので、暗転が多いことが好感を持てなかった。
NYでブロードウェイを見たという事実を作るために行けたことは良かった。ただそれだけで、時差ぼけから脱せないでいた体には、ひたすら眠かった。
私は知らなかったが、NYの公立図書館は映画のロケなんかにも使われるくらい有名らしく、町の中心にあった。蔵書が半端ない数だというので行ってみた。そこ自体観光地の一つと化していて、図書館なのに美術館や博物館同様ショップもある。建物の感じが、ちょうどハンガリーで通っていた大学に似ていた。図書館にはフリーで使えるPC用のLANもあり、今では決して珍しくない光景だが、私はどうもその辺はアナログで、調べ物をするという行為は手書きでなければどうもしっくり来ず、そういう図書館にPCを持ち込む過渡期は、私たちくらいの年代からなのかなと思ってみたりした。
45分だけならネットが無料で使えるというので、そこでオフオフブロードウェイのチケットを予約する。(ブロードウェイ、オフブロードウェイ、オフオフブロードウェイ、と会場の大きさ、チケットの価格も低くなる。オフやオフオフで成功すれば、ブロードウェイへと進出することも可能なのだ。ブロードウェイでやりたくないというアーティストも当然いるだろうが。)こっちでブロードウェイの一つも見て見たいと思っていたが、日程的、金銭的なものを考えると、ちょうど今日やっている12ドルのダンスが適当だったので、急いで予約した。
開演は20時だったので、それまではロックフェラーセンター、タイムズスクウェアのあたりを散策して、一応NYの喧騒も味わっておく。
「Grios」@The Center for Remembering and Sharing
キャパは45人程度と聞いていたから、小さいとことは覚悟していた。けれど、お客は自分も含め7人。今まで見た中でもっとも少なかった。当日パンフなんかさらっと読むと、Buster-Keaton、BUTOHなんかの文字が見えるので、これはひょっとすると結構好みなのかもしれないなぁ、とホロリと期待していた。
最初のシーンで男性が木の格好をして、そこに絡む妖精役の女性。ひどかった。BUTOHはアンチ西洋を基本に置き、何かに"なる"ってことを体現しようとしたんだけど、これはあまりにも直接的過ぎる。木になりたいなら、そこに立って木になれいればいい。なのに男性は木を頭につけ、手につけ、茶色の衣装をまとい。女性の方は妖精というには、体が重く、フリ自体は故意的でない緩慢さで、違う意味で肉体の限界だろう。次のシーンでは若い女性3人が全裸で登場。ここでなぜ全裸なのかイマイチ意図が読み取れなかった。このあとも次々にシーンは変わり全部で11シーン続いた。
この作品はセルティックの神話にインスパイアされているそうだが、そういった神話性を語るには、体が俗世間と訣別しきれていなかったように思える。それは、若い女性3人の年齢的な若さをカバーできない身体と、演出の仕方とその辺と。舞台装置はとてもシンプルで、床と奥の壁に木の棒を自由にさせるような装置で、シーンごとにその棒の配置を変えて、フレキシブルな対応ができるようにしたものだった。そういう発想は悪くないとあえて褒めるが、場面転換のたびに暗転になり、舞台に男性がでてきて紙を見ながら棒を差し替えていくというのはかなり集中力が切れる。暗転自体私はなるべく少なくして欲しいのだ。するなら休憩にしてくれという感じなので、暗転が多いことが好感を持てなかった。
NYでブロードウェイを見たという事実を作るために行けたことは良かった。ただそれだけで、時差ぼけから脱せないでいた体には、ひたすら眠かった。
by tsubasahappy
| 2006-03-26 22:00
| 旅